日時:2021年10月27日(水)13時00分-15時00分
場所:京都府長岡京市界隈
テーマ:★まち歩き 長岡京・勝竜寺城公園、その他
講師(ガイド):大阪府高齢者大学校 清水 秀司氏
枚方市から抜け出し、午後の「まち歩き」は、京都府の長岡京市にある"勝竜寺城"界隈でした。
京阪バスでJR高槻駅まで行き、JRに乗り換え。JR高槻駅からJR長岡京駅へ。
◎JR長岡京駅東側 13:20集合 そして、
神足(こうたり)神社 -->勝竜寺城(しょうりゅうじじょう)・公園 -->
西国(さいごく)街道・神足ふれあい町家 -->JR長岡京駅西側
なお、今回のガイドは、午前に講義をされた清水先生でした。
先生は、この長岡京にお住まいとのことでした。
◎JR長岡京駅 周辺マップ
JR長岡京駅は、かっては「神足駅(こうたりえき)」と呼ばれていた。1995年9月に現"JR長岡京駅"に改称。
駅前には「村田製作所/muRata」のビルがあり、周辺には乙訓寺、長岡天満宮や今回のまち歩き・勝竜寺城・公園などある。
◎神足神社(こうたりじんじゃ)
駅からガラシャ通りに沿って歩くこと約7分のところに「神足神社」がある。延暦15年(796)に創立されたと言われる古社でした。
第55代の文徳天皇時代は国の官社でした。
中に入ると、勝龍寺城の土塁(どるい)の跡がある。敵が攻め込んだ時に簡単に登り上ることができない構造になっており、
また、”横矢掛かり(よこやがかり)"の仕掛けがあり、敵が土橋を渡って侵入すると横の土塁から攻撃し敵の侵入を防止したようだ。
★先生:『ひらかた校の皆さん 土塁では危ない矢が飛んでくるぞ!!!』--皆、ビックリ!!!!!
境内に入り、清水先生から「神足神社」の説明を受けた。なお、今は神社の一部が公園として整備されているとのことでした。
◎勝竜寺城・公園
元亀2年(1571)に、織田信長の命を受けた細川藤孝が臨時的な砦を当時の最先端の城郭に作り変えられたのが「勝龍寺城」でした。
その後、廃城になったが公園整備に先立つ昭和63年(1988)の発掘調査で多くの遺構、遺物が発見された。そして、平成4年(1992)に
現在の「勝竜寺城公園」として開園したそうである。
「勝龍寺城」は、山崎・勝龍寺城合戦で敗北した"明智光秀"が退却・ろう城した所でもある。また、光秀の娘"明智玉(細川ガラシャ)"が
細川藤孝の長男・細川忠興のもとに嫁いだ際、居住した城でもある。
さあ、城内、公園を見学。
紅葉が始まっていました。
城は、小高い場所にあったが、整備などのため、現在のところに移動されたようでした。
★石垣は農民からの調達で、地蔵、五輪塔、墓石などからできているとのこと。昔の人たちは、凄かった!!(1班:木村さん)
★園内で清水先生がこの近辺の湧水の話をされていると、清掃をされていた人が、異論を唱えてきてビックリでした。
このあたりの山崎の水は軟水でも比較的硬度が高く、味わいは柔らかく、ほんのりと甘い名水の里でもあります。(3班:中島さん)
◎神足ふれあい町家界隈
勝竜寺城・公園をあとにして、家並みを歩き、本日最後の西国(さいごく)街道、神足ふれあい町家へ行きました。
平成15年(2003)にお茶の小売業をしていた石田家から長岡京市が購入。整備して現在の「神足ふれあい町家」にしたそうです。
店先では郷土品などを販売、中に入っていくと繊細な細工を施した座敷、食事も可能、そして奥には庭がありました。
ひとときの憩い場所になりました。
このあと、西国街道を歩き、JR長岡京駅西側へいき、解散でした。「お疲れ様でした」
★町家でお土産用に「「竹の子最中」を買いました。-->帰宅後、食べました。あんこに竹の子が入っていましたよ。(5班:大島さん)
「まち歩き:長岡京編」を終えて:
・ 秋晴れで最高のまち歩き日和でした。(3班:中島さん)
・枚方を離れたまち歩きも楽しいものでした。 交流を兼ね、他のカレッジ校へ訪問してもよいかな。(2班:白川)
・現地で先生からの講義は初めてで、とても新鮮で「欣喜雀躍(きんきじゃくやく)」でした。
また歴史再発見的な授業は臨場感が違います。勝竜寺城🏯公園で聞いた講義、明智光秀だから見るとまた違った歴史観を感じました。 天気にも恵まれ、あっという間の授業でした。(4班:益田さん)
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??質問(Question):勝竜寺城と近辺にある勝龍寺の関係は?
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